木塚 敦志(木塚 敦士)
選手名:木塚 敦志(きづか あつし)
生年月日:1977年7月19日
2007年成績:3勝1敗29H0S 防御率3.06
経歴:浦和学院高等学校(1993-1995)-明治大学(1996-1999)-横浜ベイスターズ (2000 -)
「吼える!情熱のサイドハンド!今年もリリーバーとして活躍が期待される!」
選手紹介
・活躍
埼玉県で生まれ育ち、地元の名門・浦和学院に進学するとここで恩師・森士と出会う。森の勧めもあり、フォームをサイドスローにするとみるみる頭角を表し、1994年には前年に夏の甲子園準優勝の実績を残していたエース土肥を擁する春日部共栄と対決し、2年生ながら力投し見事甲子園出場を果たした。その後は、六大学野球の名門・明治大学に進学すると川上憲伸や小笠原孝らとともに強力投手陣を形成。4年次には彼らの後を継ぎエースとして成長。明治大としては星野仙一以来となるノーヒットノーランも達成すると、その年の日米大学野球選手権のメンバーとしても選出された。1999年のドラフトにて2位指名を受け横浜ベイスターズに入団した。大学4年次には「気合を入れた投球をしたい」という理由で登録名を「木塚敦志」へ変更する熱血漢で、マウンドで吠える投球スタイルは以降彼の代名詞ともなる。
1年目から1軍でリリーフとして登板していたが、後半戦からは守護神に抜擢されると防御率2.98、18セーブという成績を残した。この年以降も好成績を残し続け、ベイスターズにはいなくてはならない貴重なリリーフとして存在感を発揮。2004年、2005年、2006年と3年連続50試合以上に登板するタフネスさもあり、首脳陣からの信頼の高さも窺える。2007年は、珍しい右のワンポイントリリーフとしての役割を与えられ、リーグ2位となる76試合に登板。中継ぎの柱としてチームトップの28ホールドをあげる活躍で、この年はプロ入りしてから初となるオールスター出場も果たした。10月8日には423試合連続リリーフ登板というセリーグ記録に並び、来シーズンも活躍を期待される存在である。
・査定について
--【装備品】--
バット:木→木(デフォ)
グローブ:黒→黒(10/7、オールスター戦、プロ野球チップス2007)
--【基礎能力】--
球速144キロ→145キロ:(データ図鑑)
コンC→C61:07年BB/9=2.55。06年BB/9=3.84。05年BB/9=1.92
スタE→F39:この年は右のワンポイントという役割をこなす。(プロスピ5E)
変化球:
・スライダー3:野球小僧◯。被打率.243(14決、プロスピ5/2、データ図鑑)
・カーブ1:野球小僧◯。被打率.333(14決、プロスピ5/1、データ図鑑)
・シンカー3:野球小僧◎。被打率.306(14決、データ図鑑)
(Hシンカー):(プロスピ5/3)
(シュート):(データ図鑑)
--【特殊能力】--
打たれ強さD:LOB率74.5%(14決D)
対ピンチD:被打率.248/得点圏.286(.254)(14決D、プロスピ5B)
対左F:右.237/左.357(右.237/左.333)(14決F、プロスピ5F)
ノビA:145キロだが、ストレートの被打率.175
クイックD:盗塁阻止率.333(3-1)2006年.000(5-0)2005年.500(2-1)(14決D)
回復B:データ(14決B、プロスピ5A)
ケガC:この年までフル回転。しかし、08年から勤続疲労で引退へ。(14決D)
(球速安定):平均130キロ後半(データ図鑑)
緊急登板:対右のワンポイントリリーフ。ワンポイントで33試合登板。
逃げ球:HR/9=0.25
闘志:彼のスタイル
--【その他】--
変化球
・コメント
パワター:デフォ
プロスピ4紹介文:
「高めにホップする闘魂込めたストレートで打者を圧倒。”炎のセットアッパー”」
木塚の投げっぷりが好きでした。この記事は木塚の格好良さを表してして好きです。
関連選手:
土肥 義弘:1994年夏埼玉県大会決勝で先発としてともに投げ合う。1学年上。
石井 義人:浦和学院時代の1学年下。
三浦 貴:浦和学院時代の1学年下。
参考資料:
nf3 -Baseball Data House -<- nf3 - Baseball Data House Phase1.0 2007年度版>(参照日2020年4月1日)
2001年
威圧館.<木塚敦志(2001・横浜) パワプロ2022 再現選手 : 威圧館>(参照日2024年2月4日)
パワプロ村.<木塚敦志(横浜)【パワナンバー・パワプロ2018】 - パワプロ村>(参照日2024年2月4日)
2005年
パワプロたん.<木塚 敦志2005(パワプロ2023再現選手) - パワプロたんのブログ>(参照日2024年2月4日)