土肥 義弘
選手名:土肥 義弘(どい よしひろ)
生年月日:1976年9月1日
2007年成績:7勝8敗0H0S 防御率4.47
経歴:春日部共栄高等学校(1992-1994)-プリンスホテル(1995-1997)-西武ライオンズ (1998 - 2004)-横浜ベイスターズ (2004 -)
「巨人キラーとして恐れられるサウスポー。目指すは久々の二桁勝利!」
選手紹介
・活躍
埼玉県勢を熱狂させた1993年夏の甲子園大会から早14年。当時、2年生エースとして甲子園決勝のマウンドに立っていた土肥は2007年、横浜ベイスターズにいた。高校卒業後、社会人野球を経て1997年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。左殺しのサウスポーとして名を挙げ救援投手として投げる日々が続いた。2004年、左腕不足に悩んでいた横浜ベイスターズが土肥をトレードで獲得。するとここでは、彼が望んだ先発での登板が主となりトレード1年目こそ5勝5敗に終わるも、翌2005年にはプロ初完封を含む4完投、10勝を挙げベイスターズの救世主となる。しかし、一発病の嫌いがあり2006年は3勝と成績を落としてしまう。2年ぶりの2桁勝利を目指して臨んだ2007年。3月31日、対巨人戦では8回無失点と”巨人キラー”の異名通りの活躍を見せるも次の登板では5失点。その後もおおよそ5回をめどに投げる日が続くもパッとせず。7月3日に7勝目を挙げ久々の二桁かと思われたがその後は打ち込まれ、監督の信頼を失ったのか登板機会も減り結局7勝8敗でシーズンを終えた。かつて、左腕不足に悩んでいたベイスターズもフロントの尽力により徐々にサウスポーが増えてきた。土肥もうかうかしていられない。
・査定について
投球フォーム:スリークォーター49
・コメント
パワター:デフォ
プロスピ4紹介文:
「球速だけでなく、投球フォームにも緩急をつけ打者を幻惑。一球ごとにタイミングをずらす投球術が生命線の技巧派左腕」
当時テレビ中継は巨人戦が多く放映されていたんですが、強力打線に対して何故か抑えていたのがこの土肥でした。エースに抑えられるならまだしもなんでこの土肥が!?と当時から思っていました。西武時代よりも横浜時代のほうが印象に強いのはこの「巨人キラー」の活躍のせいなんですかね。後に西武復帰しましたが目立った成績を収められなかったのが少し残念でした。
関連選手:
・木塚 敦志:1994年夏、埼玉県大会決勝戦の相手浦和学院の先発(当時2年生)。
参考資料:
nf3 -Baseball Data House -<- nf3 - Baseball Data House Phase1.0 2007年度版>(参照日2020年4月1日)
2002年
パワプロ村<土肥義弘(西武)【パワナンバー・パワプロ2018】 - パワプロ村>(参照日2024年1月6日)
2005年
威圧館<土肥義弘(2005・横浜) パワプロ2022 再現選手 : 威圧館>(参照日2024年1月6日)
パワプロたん<土肥 義弘2005(パワプロ2022再現選手) - パワプロたんのブログ>(参照日2024年1月6日)