データニキのパワプロブログ-ここだけ2007年野球-

パワプロで再現した選手、チームを公開します

下窪 陽介(2007)【パワプロ2022】

下窪 陽介

選手名:下窪 陽介(しもくぼ ようすけ)

生年月日:1979年1月21日

下窪 陽介

2007年成績:.272 0本塁打 9打点 1盗塁

経歴:鹿児島実業高等学校(1994-1996)-日本大学(1997-2000)-日本通運(2001-2006)-横浜ベイスターズ (2007 -)

「かつての甲子園V投手は、野手転向を経てのプロ入り。走攻守で活躍を!」

選手紹介

・活躍

 鹿児島の野球名門校である鹿児島実業。古くは定岡正二杉内俊哉といった多くのプロ野球選手を輩出しているが彼らが成し遂げられなかった優勝旗を鹿児島県に初めて持ち帰った偉業を成し遂げたのがこの下窪である。1996年春に甲子園優勝に輝いたが、夏の甲子園に出場したものの春夏連覇はならず。その後は日本大学に進学も肩を痛め1年間野球ができない時期もあった。大学3年の時には投手と外野の二刀流だったが、外野のスローイングの練習をするうちに投げ方が分からなったこと、また後にプロ入りする吉野誠ら強力な投手陣がおり、野手に専念してプレーすることとなる。大学卒業後は社会人野球に進むも、野手としての身体の使い方に慣れず怪我で満足な成績を残せない時期もあった。これで最後にしようと奮起した社会人6年目。この年の第77回都市対抗野球大会において見事首位打者に輝くとドラフトの即戦力候補として注目を集め始める。外野事情に悩む中日ドラゴンズが指名するのではという話もあったが、結局その年のドラフト5巡目で横浜ベイスターズが指名し入団することとなった。プロとしては遅い入団となったが、広角に打ち分ける打撃と俊足、強肩という三拍子そろった選手として期待されていた。春季キャンプ、オープン戦で結果を出し、開幕一軍に入ったがその後不調もあり一時2軍へ。しかし、2軍では打ちまくり再び1軍に戻ると左相手に滅法強く準レギュラーとして77試合に出場。打率.277の成績を残した。

・査定について

--【装備品】--

バット:黒→黒(6/6)

グローブ:黒→黒(デフォ)

リストバンド:赤/-→白/-(6/6)赤/赤

--【基礎能力】--

ミートDE44:打率.277(112-31)

パワーFF38:0HR

走力DC67:50m5秒台と大学時代は俊足選手だった

肩力DB75:大学時代147キロ、社会人時代も強肩として知られた

守備ED52:社会人時代は中の上クラスだった(守備範囲は走力でカバー)

エラーEE46:2軍だとFクラスも1軍では失策無しの守備率1.000/通算守備率1.000

--【特殊能力】--

チャンスD:打率.277/得点圏.250(14決D

対左B:右.237/左.321(14決B

盗塁D:盗塁成功率1.000(1-1)(14決D

走塁E:走塁ミスあり(14決D

送球D:(14決D

ケガE:毎年ドラフト候補もケガしがちだった(14決Dプロスピ5D

回復E:1.5軍(プロスピ5)

初球:打率.272/初球.400(35打席)(付けるか悩む)

チャンスメーカー):(プロスピ5)

流し打ち:安打方向45.2%が右方向(14決)

粘り打ち出塁率の高さ(プロスピ5)

ミート多用:社会人時代は4番もプロ通算0HR

積極打法:(14決、プロスピ5)

慎重盗塁:盗塁数少ない

選球眼):10四死球出塁率.336

--【その他】--

打撃フォーム:スタンダード18

ベイ☆下窪、同点2塁打(2連続) 2008.03.08

2008年3月8日、対新日石ENEOS戦(プロアマ交流戦)。
投球フォーム:

⚾【平成8年】鹿児島実業 対 智弁和歌山【高校野球・決勝】

1996年春、第68回選抜甲子園大会決勝。2回戦以降から3日で修正したという投球フォーム。
変化球:

⚾【平成8年】鹿児島実業 対 智弁和歌山【高校野球・決勝】

1996年春、第68回選抜甲子園大会決勝。ランナー有りの場面。ストレート。

⚾【平成8年】鹿児島実業 対 智弁和歌山【高校野球・決勝】

1996年春、第68回選抜甲子園大会決勝。大小あると言われたスライダー?(縦の変化)
守備:

⚾【平成8年】鹿児島実業 対 智弁和歌山【高校野球・決勝】

1996年春、第68回選抜甲子園大会決勝。打球反応もいい。

・コメント

パワター:自作

プロスピ4紹介文:未収録

 

突然でてきた選手だなあと当時思っていたんですが、まさか1996年に甲子園優勝していた投手だったとは思いもしませんでした。こういう苦労人の選手好きなんですよねえ。2年目以降も活躍すると思っていたんですが…

 

関連選手:

中谷 仁:1996年春の選抜決勝戦にて対決。智弁和歌山の正捕手だった。

清水 直行日本大学時代の3学年先輩。

吉野 誠:日本大学時代の1学年先輩。

尾形 佳紀:日本大学時代の同級生。後に広島カープに入団。

武田 久:日本通運時代の同期。2002年のドラフトにて日本ハムにプロ入り。

小川 将俊:日本通運時代の同期。2003年のドラフトにて中日にプロ入り。

参考資料:

nf3 -Baseball Data House -<- nf3 - Baseball Data House Phase1.0 2007年度版>(参照日2020年4月1日)

ファーストピッチ .<選抜Vの一因は「軸足の強化」 冬越えて劇的変身…元エースが実践した“右回り走” | ファーストピッチ ― 野球育成解決サイト ―>(参照日2024年1月10日)

NIPPON EXPRESSホールディングス.<日通野球部 下窪選手がドラフト会議で横浜ベイスターズより指名 | NIPPON EXPRESSホールディングス>(参照日2024年1月10日)

日本海事新聞.<日通野球部所属の下窪選手/横浜からドラフト指名|日本海事新聞 電子版>(参照日2024年1月10日)

Full-Count.<大学で野手転向→27歳でドラフト指名 選抜V腕が痛感…打者に必要な"自分の見極め" | Full-Count>(参照日2024年1月10日)