データニキのパワプロブログ-ここだけ2007年野球-

パワプロで再現した選手、チームを公開します

村田 修一(2007)【パワプロ2022】

村田 修一

選手名:村田 修一(むらた しゅういち)

生年月日:1980年12月28日

村田 修一

2007年成績:.287 36本塁打 101打点 1盗塁

経歴:東福岡高等学校(1996-1998)-日本大学(1999-2002)-横浜ベイスターズ (2003 -)

「生粋のホームランアーチスト。今日もハマの夜空に大きなアーチを描く」

選手紹介

・活躍

 大学時代に通算20HRを放ち、鳴り物入りで2002年の自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団した村田修一。1年目は、本職であるサードに同い年の古木(克明)がおり、慣れないセカンドに挑戦することになった。打撃不振もあり、二軍落ちを経験したものの後半戦では調子を上げ、104試合に出場し25HRを放つ活躍をみせ期待のスラッガーとして注目を集める。2年目となる2004年は開幕スタメンで出場するも、打撃不振でベンチで過ごすこともあった。それでも、116試合に出場し15HRと一定の成績は残した。2005年は、それまで2年連続HR王に輝いていたT・ウッズという主砲が退団*1し、チームの打撃力の低下が心配されたが、村田は自己最多となる136試合に出場し、チーム2位となる26HRを放つ活躍を見せた。また、自身初となるサヨナラ打を放つと8月にもサヨナラ打を放ち、勝負強い面もみせた。2006年は、高校の後輩である吉村が突如ブレイクすると、その活躍に感化されたのか村田自身も初となる30HRをマークし、34HRでシーズンを終えた。しかし、豪快なスイングの代償か153三振を記録した。

2007年はチームの4番として存在感を発揮し、2年連続となる30本塁打、100打点を記録。三振数も減少し、確実性もアップ。自身初となるタイトル(HR王)にも獲得した。

・査定について

--【装備品】--

バット:黒→黒(4/22、8/30)

グローブ:革→革(5/2)

リストバンド:白/白→白/白(4/22、5/2、8/30)

--【基礎能力】--

弾道44:ハマの主砲。まさにアーチストの打球

ミートDD56:打率.287

パワーAA83:36HR

走力EE46:三塁打1本。内野安打9本と鈍足ではない。

肩力DB71:高校時代は投手。

守備FD50:平均的?

エラーFE43:守備率.948/失策10。+エラーで調整

--【特殊能力】--

チャンスD:打率.287/得点圏.268(14決D

対左B:右.259/左.355(14決B

盗塁E:盗塁成功率.500(2-1)(14決D

走塁D:前年は三塁打3本と走塁は並み以上(14決D

送球D:(14決D

ケガC:3年連続130試合以上に出場(14決D

回復B:144試合に出場(プロスピ5B

対ストレート):07年真っ直ぐ:打率.330/曲がる:打率.286/落ちる:打率.218

対変化球:真っ直ぐ18HR/変化球18HR

広角打法:左13/中5/右10(14決、プロスピ5)

パワーヒッター:HR王(14決、プロスピ5)

ハイボールヒッター:07年野球小僧得意コース(プロスピ5)

中日キラー):(14決)

三振:117三振(14決)

エラー:タイムリーエラー3回(14決、プロスピ5)

人気者:オールスター出場2006年。(プロスピ5)

強振多用:スタイル(14決、プロスピ5)

慎重打法:(14決、プロスピ5)

--【その他】--

サブ二塁):ルーキーイヤーの2003年以来守っていない。

打撃フォーム:

村田修一 22号同点HR 2007.08.30

2007年8月30日、対中日戦。第22号の同点HRを放つ。

2003年4月11日、対ヤクルト戦。ルーキーイヤーの村田。

三浦 貴投手

2001年11月11日、東都大学野球連盟70周年記念試合。対プロOB選抜。

守備

2007年5月2日、対阪神戦。サードライナー。

・コメント

パワター:デフォ(髪型変更、髭追加)

プロスピ4紹介文:

「無類のヘッドスピードで広角にアーチを架ける若き大砲。”4番は任せろ!”の心意気で試合に臨む。漢・村田修一!」

 

2007年は、熾烈なHR王争いをしていて、広島・佐々岡からHRを放ったニュースを見た時においおい、もしかして村田がHR王になるのか…と思ったことを覚えています。

翌年、あれほどの活躍を見せるとは思っていませんでしたし、まさかその後巨人に入団することになろうとはこの時は夢にも思っていませんでした。

吉村選手とは同じ高校だったんですね。出身校の関係者の方々はうれしかったでしょうね。

 

関連選手:

大野 隆治:東福岡高校日本大学の同級生。共に甲子園に出場した。

田中 賢介:東福岡高校時代の同級生。共に甲子園に出場した。

實松 一成:同世代であり、高校日本代表で一緒にプレイした。

松坂 大輔:松坂の投球を見て、投手の道を諦めた。高校日本代表ではチームメイト。

小池 正晃:同世代であり、横浜ベイスターズでチームメイトとなった。

後藤 武敏:同世代であり、松坂、小池らとともに春の選抜において対決した。

小山 良男:同世代。大学、社会人を経て中日ドラゴンズに入団する。

古木 克明:同世代。高校時代から古木は強打者として知られていた。対決もしている。

館山 昌平:日本大学時代のチームメイト。プロでは同じセ・リーグで鎬を削った。

堤内 健日本大学時代のチームメイト。プロでもベイスターズでチームメイト。

吉村 裕基東福岡高校の後輩。村田は大卒、吉村は高卒で同期入団。

参考資料:

nf3 -Baseball Data House -<- nf3 - Baseball Data House Phase1.0 2007年度版>(参照日2020年4月1日)

週刊ベースボールONLINE.<横浜・村田修一が大アーチで節目の本塁打(2007年4月10日) | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE>(参照日2024年2月15日)

 

*1:金銭面と高齢という面で手放したと言われている。その後、ウッズはドラゴンズに入団することとなる